『すべてがFになる』 #5~6 すべてがFになる 怒りの感想
語彙力の乏しい皆さん
こんにちは、いとです。
ほらアレだってマジでアレで超ヤバいやつ。
神様が僕に与えて下さらなかった才能は色々とありますが、映画とか小説のレビューが趣味である僕に語彙力を与えてくださらなかったのは何故でしょうか。
こんな素敵で意味不明な煽り文句、僕には到底思いつけないでしょう。
そんな訳なので大概の場合、「凄かった」とか「面白かった」とかそう言った「アレ」な感じなので生暖かい目で見守ってやってください。
そんなことはともかく、
火曜ドラマ『すべてがFになる』は先々週放送分と先週放送分で原作の『すべてがFになる』のエピソードを終えました。
基本的に僕はこのドラマに好意的でありたいと思っています。
先日も東京で知り合った方に(東京でって書くだけで何かオシャレ!!)「実写化とかは全部クソ!とか言っちゃって地名度が増える事に嫌悪を覚える迷惑な原作ファンにはなりたくないですよね」と言われ僕も本心から「そうそう」と同意したものですが、
自分の中にふつふつと湧き上がるこの感情はなんでしょうか。ああ!まさか・・・、まさか、この感情は!!ああ!!!
後にこの時の出来事は『火の7日間』と呼ばれ恐れられるのであった・・・。
そんな訳で、僕にとって『すべてがFになる』というエピソードは思い入れが深すぎたためにドラマ版は微妙でした。
微妙だった理由の第一は大好きなセリフが沢山カットされていること。
「西之園くん、デリカシーって言葉知ってる?」「珍味のことでしょう」
から始まり事件の真相を語り終えた犀川創平が「フェールセーフ」という用語を交え犯人がいかに完璧な犯罪者であるかを説明する部分や、真相に気づいた犀川創平が「ちょっと狂ってるんだ」と独白する部分など言い出したらキリがないほど沢山の部分がカットされているのは流石にショックでした。
そもそも、「フェールセーフ」のくだりは犯人の頭脳の非凡さとこの事件の異常な完璧さを表現する部分であり必要不可欠と思っていたのですが違っていたのですね・・・。
第二の理由はやはりキャラクタ性の違いです。
犀川創平が突然笑いだしたりするキャラなのも腑に落ちませんが何よりも酷いのは『すべてがFになる』の意味。
少しネタバレをしてしまうと、真の意味に加え「F」を「FREE」という意味と西之園萌絵が解釈し、それに犀川創平が賛同するのですが、
原作にはそんなシーンはない!!つか、犯人の奴はそんなこと絶対しねーから!!
うおお、うおおおおお!!!!
そんなこともありましたが、今日これから放送の第7話からは『数奇にして模型』ですね。
崩して言うと「好きにしてもOK」という言葉になるダジャレの様なものであるタイトルが有名ですが、内容も森博嗣らしいミステリとなっていてオススメです。原作通りならね。
しかも、なんと大河ドラマ『新選組!』で土方歳三を演じ好きな俳優でもある山本耕史が出てるということでテンションマックスで楽しませて頂きます。